ハガレンについて頂いたメールを掲載。

鋼の錬金術師、ブラッドレイについての意見です。七つの大罪を体現するホムンクルスたち。

「色欲」のラストは女の色香を持ち、かつ男の雄姿を楽しむ気風を持っていた。「強欲」のグリードはその性質ゆえにお父様への帰属すら拒み、人間にもホムンクルスにも反逆を繰り返す。(だがその強欲は無限ではなく、リンという大器に 収まる事でその性質が充たされているとも) 「暴食」のグラトニーは何から何までも食べる事を好み、自らの最期さえ捕食に終わった。また、食うという行為に特化した、いわゆる「飲む」形態の際にべしゃりが流暢に進化するなど、その原質に近付くほど個体の精度が上がるという見方も。

「嫉妬」のエンヴィーはその嫉妬を強めるために強くとも醜い本体を持ち、人間の不完全性を憎むように生み出されてなお、人間の美点を妬んでいた。そしてそれを理解され、解消されてしまうと、生き足掻く気力も失せて滅んでしまった。「怠惰」のスロウスは剛力に最速と、ある意味最も有能に調整されていながら愚鈍に見えるほどの怠け者で、最期には自分の生命・存在さえ面倒くさがっていた事がわかった。むしろ愚鈍な怠け者である事の強調として有能が付与されていたとも。

こうして見ると、七つの大罪を冠したホムンクルス達はじつに見事にその性質までも体現していたと考えられます。翻って残り二人、プライドとラースはどうなのかと言うと。 「傲慢」のプライドは"完全な存在"を目指すお父様から最初に切り離された悪徳。そして完全の見地からして最不用だからこそ同胞で一番未熟な姿=子供として存在し続ける。また、プライドという単語には「矜持」「(ライオンなどの)群れ」という副意もあるそうです。矜持を崩して生き足掻こうとした故に、見下していた敗者・キンブリーに足元を掬われる=自らが体現するものから外れてしまったと。そして無意識に「家族」を求めていたお父様が最初に生み出した"プライド=群れ=家族"という風にも捉えられるかもしれません。

「憤怒」のラースについてはここ最近非常に多く語られていたので恐縮ですが、蛇足として。憤怒を体現するとはどういうことなのか。怒りっぱなしの単なるバーサーカーとはまるで逆のブラッドレイ。しかしコミック最新刊を見返して、彼もまた、彼であるが故に立派に憤怒を体現しているのだと思えました。「……見事!」「少し 楽しい」「人間という奴は思い通りに行かなくて腹が立つ」 と、出し抜かれる度に笑みを見せるブラッドレイ。本来出し抜かれたら怒りが湧くもの。しかし、憤怒こそが本質である彼はその怒りを想起させる事態こそが最も自分に心地良く、それゆえに笑みが零れてしまうのではないかと思ってしまいました。 しかしながら妻との絆を強調する際に見せた怒りの表情。これは「ホムンクルスとしての怒り=笑み」ではなく「人間としての怒り=怒り」だったのかなーとも。考えすぎとはいえ深いものを感じます。

また、ブラッドレイは人間の粗悪な情操を嫌う傾向にありました。部下への情が絡んだグリードの強欲を下らんと吐き捨てたり、イシュヴァール戦役で相手の人身御供を一蹴し、全くの無価値として扱うなど。これを翻し、かつ拡大解釈すると。 七つの大罪とは本来人間の悪徳、悪情。しかしてブラッドレイは人間の悪情を嫌う。それはある意味、最初から他の同胞と相容れない存在=本質的に人間寄りだったのかもしれません。

ハガレンのテーマは代償(等価交換)などいろいろありますが、『誕生』もその中の一つ。子供の世界は親によって守られており、ただ泣き、笑うだけで全ては用意され、嫌なものは排除されます。それは完璧で快適な、閉ざされた世界。その殻を破り勇気を持って歩き出し、外のまだ知らない何かや誰かに出会いに行く。自分自身の意思で掴みとる『誕生』です。

ホムンクルスたちは『お父様』の分身であり子供。その表すものも子供の感情です。抱きしめて欲しい、お腹が空いた、面倒くさい、自分の持ってないものに憧れ羨む、思い通りにならないことが腹立たしい、全ては俺のもの(だから奪うな)、親の庇護を離れては生きられない空虚な優越感。彼らの本質は泣き叫ぶ子供であり、そこから一歩も進まないゆえに死を迎えます。

真っ直ぐな目に見つめられ、食べる側から食べられる側になり、考え抗う事を諦めて、孤独な自分を理解され、最後に死に場所を自分で選びとり、全ての虚栄を剥ぎ取られ己をさらけ出して。自分の本当に欲しいものを見出せたのは親離れしたグリードのみです。

それは親であるフラスコの中の小人も同じ。フラスコを飛び出しても、誰もそこにはいない。だからこの世で唯一無二の存在=神になることでその永遠の孤独から逃れようとした。ホムンクルスは未だ生のなんたるかを知らない未熟児たちです。

錬金術の基本は理解、分解、再構築。他人を理解しようと努め、時にはぶつかりあいながら踏み込んでいき、そして新たに絆が生まれる。そこに生まれるのは黄金であり、賢者の石である。死者を呼び戻す=過去に戻ることはできなくても、新たに自分を誕生し直すことはできる。そんな祈りを込めて手を合わせる、そう感じます。