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「神様ドォルズ」堂々の完結。不完全燃焼なんだろ?
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2013年05月03日
・【Amazon】『やさしい教師の躾けかた。」(3) 限定版
ドラマCD付の限定版6巻がアマゾンで予約受付開始。6月22日発売予定です。
さて…。
「神様ドォルズ」12巻が発売されました。
これが最終巻です。これにて「神様ドォルズ」もお終いか。感慨深いものがありますね。味わいつつも一気に読みました。一言で率直に感想を述べましょう。不完全燃焼なんだろ?なんかスッキリしないんだよなー。
まあ、訓練されたやまむらはじめ先生の読者なら「ん、まあ通常通り」といったところなんですけれど。この煮え切らなさとむずむずした感じがむしろ心地いいみたいな。やっぱり心情が上手い。やまむら作品の好きなところは「悩む若者」である。そしてその悩みを乗り越えて行く様が僕の心の琴線に触れてくれる。ゆえに、「神様ドォルズ」は案山子を操るバトル漫画なんだけど、個人的には「青春」とか「若者の葛藤」を描いていたと思うわけです。
【玖吼理】
玖吼理の意志が動きまくったね。
玖吼理と匡平
「わかったよ。一緒に闘おう、玖吼理」
玖吼理が匡平の下へ現れた背景がいいよね。
詩緒の言う「案山子は人助けのためのもの」という気持ちを叶えて、詩緒を置き去りにして匡平のところへ意志を持ってやってきた。人助けでなく闘いだから連れてはいけない、と。
詩緒の前で望み通り「善き神」でいた玖吼理である。
日々野さんの言葉もグッときますね。
「よかったわね。」
「だって詩緒ちゃんは玖吼理を闘うためでなく、人を助けるために使いたかったんでしょう?だったら玖吼理は詩緒ちゃんの気持ちを、願いを、わかってくれた…って、ことじゃない?」
玖吼理はわかってくれた
じゃあなんで詩緒は嬉し涙でないの。
「案山子は人助けのためのもの」っていうならさ、別に詩緒の前だけ「善き神」でいても意味なくないか。結局、玖吼理は闘いに行くわけだし。詩緒はもう悟ってた節があるよね。これが玖吼理との今生の別れである、と。69話の「別離」はうまいタイトルである。
仮にさ玖吼理が無事だったとしても、もう詩緒と元通りには絶対にならないよね。詩緒の崇高な考えは素晴らしいけど矛盾してたと感じるんですよ。玖吼理を「闘うためでなく、人を助けるため」といのが矛盾してたと思うんです。だってね、玖吼理は「人を助けるため、闘う」んですし。おすし。
玖吼理闘いに行きます
「暗密刀?暗密刀が泣いてるの?」
「力が大きすぎて…体が耐えられないって…」
「…放っとけないんだね。」
暗密刀は泣いてるらしい。
放っておけないらしい。
え。何体も案山子ぶっ壊したくせに何いってんの?と思うも、ようするに隻である阿幾が泣いてるらしい。玖吼理は阿幾(暗密刀)を助けるために闘いに赴いた。闘う事が人助けだったんだよね。
【阿幾】
君は何をなす?
三種の神器になぞらえた三つの器機。そのうちの2つを手に入れ阿幾は何をしたかったか。「世界を焼き尽くすか?」「英雄となるか?」「それとも…?」、阿幾は何をしたかったかと言えば最期にこだわったのはシンプルなものだった。「匡平との闘い」である。匡平と闘う事に執着した。理由はない。
「待たせたな、匡平。これでようやく対等だ」(67話)
「けっこういい勝負になると思うぜ?」(67話)
「匡平!逃げ切れると思ってんのか?」(68話)
「思い出せ!これはお前が始めた事だ!お前が!!」(68話)
「決着は、つけなくちゃならない。」(69話)
「(何の為に匡平と闘うか聞かれ)さあ、なぜだろうか…。なぜかはわからないけど、そうしなきゃいられない」(69話)
なにこの匡平への執着っぷり。
「待たせたな、匡平」って別に匡平は待ってないよ!いや、案外心の奥底では待ってたのか?よく分からん。
ひたすら匡平にオレと闘えと迫る阿幾であった。
闘えよ匡平
「そのため(桐生を助ける)には使えても、オレと闘うためには使えないってか?」
なんだろう。阿幾は「オレも助けてくれ」と言ってるようにも思える。過去にも未来にも行き場所がない。立ち止まることも拒否した阿幾の最期に選んで執着したものは匡平との闘いだった。
いやー、冷静に最期の2人の決戦を読んでて思いますよ。
阿幾と匡平が戦う理由なんてまったくねぇな、と。てか本人も何で匡平と闘うのか理由分かってないしね。
憎悪もなけりゃ、敵とか味方とかそういう単純なもんじゃない。まじでこの2人が闘う理由なんて何もない。勝っても負けても得るもんない。でも、阿幾は匡平との闘いに決着に執着した。それが完全燃焼なんだろ?それしかないんだよね。阿幾の匡平への執着っぷりはもう「愛」ですね。
阿幾さんの純愛ロード
「二人でな、ここでもやれたと思わないか?」
結局、阿幾は匡平に並びたかっただけだと思うわけです。一緒に飛びたかっただけだと。隻としてチートの匡平と並びたかったから匡平の本気に拘るし、三種の神器になぞらえた2つの器機でパワーアップした。
阿幾にとっては匡平と闘うことが全てであり、暴走すら恐れていない。匡平が警告しても「相手がいなくなりゃ、そんな心配もいらねェさ」と匡平戦の後なんか知ったこっちゃない状態。グッとくるのは「楽しそう」と2人の闘いを見ていた紫音の呟き。たぶん楽しかったんだろうね。
すごい純愛をみました。 最後の殴り合いなんて完全に痴話喧嘩でした。何度「神様ドォルズ」を読み返しても結論は一つである。
┌(┌^o^)┐ほーも!
【ヒロイン】
単行本の登場紹介人物で「ヒロインA、詩緒」「ヒロインB、日々野さん」と紹介されています。付け加えるなら「ヒロインC、阿幾」で「ヒロインD、まひる様」という構図になる。ご存知のように勝者は「ヒロインB」である日々野さんです。あれだけ好き好き光線出しまくった愛情一直線のヒロインC&Dは敗者である。これは納得できる(なぜか上から目線)
アニメのOP「不完全燃焼」は歌の中毒性もさることながら歌詞が良かったよね。「不完全燃焼」は匡平の心の慟哭を歌詞にしたそうな。これ個人的に凄い納得できるんですよ。歌詞全体から匡平の悲しみとか嘆きが伝わるんですけど、一番びびっと来たのは「操縦不可能なんだよ予想外に際立つ力を『可能性』と呼ぶのだけはやめてくれ」ってとこ。
あくまで抽象的なものなんだろうけど、僕には8年前の天照素戦をドンピシャで歌ったように思えるわけですよ。だって匡平は覚えてないし。気付いたら天照素は破壊されていた。それなのに、まひる様と阿幾は心奪われていた。
人が恋に落ちる瞬間を初めて見てしまった。まいったな。
正気を失った匡平。
何もかもぶっ飛んでいた。何も覚えてない。そのたった1度の匡平に「ヒロインC、阿幾」と「ヒロインD、まひる様」は恋に落ちていた。畏怖や尊敬や崇拝が入り交じりながら2人とも口々に言っていた。「これこそがホンモノの匡平」である、と。
匡平にとっては何の記憶も自覚もないのに、「ホンモノの匡平」「匡平の正体」とか言い続けるわけです。本人にとっちゃ知らんがな状態ですよ。そりゃ、阿幾とまひる様の恋も報われないわけですよ。そんな覚えてもいない人格をホンモノとか言って崇拝して恋されても困るっちゅーの!
だから日々野さんは納得できる勝者であった。
匡平は凄いとか聞かされても日々野さんまじヒロイン
すごい納得できるよ!
そりゃ日々野さんが勝つっつーの。ちゃんと匡平を見ろっつーの。自分で操縦不可能な人格を可能性と呼ぶのはやめてくれですよ。日々野さんの魅力は乳だけじゃない!もちろん乳はいいものであるが。
もっとラブがコメるとこ見たかった。不完全燃焼なんだよ!
【まとめると】
ぶっちゃけ最終回読んだ感想は「え?(困惑)」でした。不完全燃焼でした。でも、未来に繋がる描写はやっぱりグッときてしまいますね。やはりやまむら作品は「苦悩を乗り越える様」が一番グッとくる。不完全燃焼でも、そりゃ若者が出した精一杯の答えですよ。なんのかんので良い漫画でした。不完全燃焼でした。
「神様ドォルズ」にはグッとくる名シーンがいくつもある。
その中で特にお気に入りのシーンを3つピックアップして終わろう。これが「神様ドォルズ」の総括である。
・第3位「天照素は凄い」
やはり8年前の過去編の天照素戦は外せない。圧倒的な力、人の心を喰うカカシ。幼女まひる様も喰われてしまい…。
心を喰われ
ふぅ。
・第2位「渋滞」
空守村へ車で帰るとき大渋滞に巻き込まれてしまいました。詩緒と靄子は大ピンチを迎えるのであった。それを乗り越えスッキリした顔が僕の心の琴線を鷲掴みにした!
渋滞というピンチを超えて
ふぅ。
・第1位「やっぱりまひる様は凄い」
物語の終盤、まひる様がピンチになった。巨大な敵だ。おしっこだ!しかも着ている服は1人では脱ぐのがおそろしく時間がかかるのだ。ゆえに、日々野さんのせいにして野ションをするのであった…。
崩壊寸前なんだろ?
ふぅ…完全燃焼なんだ。
ドラマCD付の限定版6巻がアマゾンで予約受付開始。6月22日発売予定です。
さて…。
「神様ドォルズ」12巻が発売されました。
これが最終巻です。これにて「神様ドォルズ」もお終いか。感慨深いものがありますね。味わいつつも一気に読みました。一言で率直に感想を述べましょう。不完全燃焼なんだろ?なんかスッキリしないんだよなー。
まあ、訓練されたやまむらはじめ先生の読者なら「ん、まあ通常通り」といったところなんですけれど。この煮え切らなさとむずむずした感じがむしろ心地いいみたいな。やっぱり心情が上手い。やまむら作品の好きなところは「悩む若者」である。そしてその悩みを乗り越えて行く様が僕の心の琴線に触れてくれる。ゆえに、「神様ドォルズ」は案山子を操るバトル漫画なんだけど、個人的には「青春」とか「若者の葛藤」を描いていたと思うわけです。
【玖吼理】
玖吼理の意志が動きまくったね。
玖吼理と匡平
「わかったよ。一緒に闘おう、玖吼理」
玖吼理が匡平の下へ現れた背景がいいよね。
詩緒の言う「案山子は人助けのためのもの」という気持ちを叶えて、詩緒を置き去りにして匡平のところへ意志を持ってやってきた。人助けでなく闘いだから連れてはいけない、と。
詩緒の前で望み通り「善き神」でいた玖吼理である。
日々野さんの言葉もグッときますね。
「よかったわね。」
「だって詩緒ちゃんは玖吼理を闘うためでなく、人を助けるために使いたかったんでしょう?だったら玖吼理は詩緒ちゃんの気持ちを、願いを、わかってくれた…って、ことじゃない?」
玖吼理はわかってくれた
じゃあなんで詩緒は嬉し涙でないの。
「案山子は人助けのためのもの」っていうならさ、別に詩緒の前だけ「善き神」でいても意味なくないか。結局、玖吼理は闘いに行くわけだし。詩緒はもう悟ってた節があるよね。これが玖吼理との今生の別れである、と。69話の「別離」はうまいタイトルである。
仮にさ玖吼理が無事だったとしても、もう詩緒と元通りには絶対にならないよね。詩緒の崇高な考えは素晴らしいけど矛盾してたと感じるんですよ。玖吼理を「闘うためでなく、人を助けるため」といのが矛盾してたと思うんです。だってね、玖吼理は「人を助けるため、闘う」んですし。おすし。
玖吼理闘いに行きます
「暗密刀?暗密刀が泣いてるの?」
「力が大きすぎて…体が耐えられないって…」
「…放っとけないんだね。」
暗密刀は泣いてるらしい。
放っておけないらしい。
え。何体も案山子ぶっ壊したくせに何いってんの?と思うも、ようするに隻である阿幾が泣いてるらしい。玖吼理は阿幾(暗密刀)を助けるために闘いに赴いた。闘う事が人助けだったんだよね。
【阿幾】
君は何をなす?
三種の神器になぞらえた三つの器機。そのうちの2つを手に入れ阿幾は何をしたかったか。「世界を焼き尽くすか?」「英雄となるか?」「それとも…?」、阿幾は何をしたかったかと言えば最期にこだわったのはシンプルなものだった。「匡平との闘い」である。匡平と闘う事に執着した。理由はない。
「待たせたな、匡平。これでようやく対等だ」(67話)
「けっこういい勝負になると思うぜ?」(67話)
「匡平!逃げ切れると思ってんのか?」(68話)
「思い出せ!これはお前が始めた事だ!お前が!!」(68話)
「決着は、つけなくちゃならない。」(69話)
「(何の為に匡平と闘うか聞かれ)さあ、なぜだろうか…。なぜかはわからないけど、そうしなきゃいられない」(69話)
なにこの匡平への執着っぷり。
「待たせたな、匡平」って別に匡平は待ってないよ!いや、案外心の奥底では待ってたのか?よく分からん。
ひたすら匡平にオレと闘えと迫る阿幾であった。
闘えよ匡平
「そのため(桐生を助ける)には使えても、オレと闘うためには使えないってか?」
なんだろう。阿幾は「オレも助けてくれ」と言ってるようにも思える。過去にも未来にも行き場所がない。立ち止まることも拒否した阿幾の最期に選んで執着したものは匡平との闘いだった。
いやー、冷静に最期の2人の決戦を読んでて思いますよ。
阿幾と匡平が戦う理由なんてまったくねぇな、と。てか本人も何で匡平と闘うのか理由分かってないしね。
憎悪もなけりゃ、敵とか味方とかそういう単純なもんじゃない。まじでこの2人が闘う理由なんて何もない。勝っても負けても得るもんない。でも、阿幾は匡平との闘いに決着に執着した。それが完全燃焼なんだろ?それしかないんだよね。阿幾の匡平への執着っぷりはもう「愛」ですね。
阿幾さんの純愛ロード
「二人でな、ここでもやれたと思わないか?」
結局、阿幾は匡平に並びたかっただけだと思うわけです。一緒に飛びたかっただけだと。隻としてチートの匡平と並びたかったから匡平の本気に拘るし、三種の神器になぞらえた2つの器機でパワーアップした。
阿幾にとっては匡平と闘うことが全てであり、暴走すら恐れていない。匡平が警告しても「相手がいなくなりゃ、そんな心配もいらねェさ」と匡平戦の後なんか知ったこっちゃない状態。グッとくるのは「楽しそう」と2人の闘いを見ていた紫音の呟き。たぶん楽しかったんだろうね。
すごい純愛をみました。 最後の殴り合いなんて完全に痴話喧嘩でした。何度「神様ドォルズ」を読み返しても結論は一つである。
┌(┌^o^)┐ほーも!
【ヒロイン】
単行本の登場紹介人物で「ヒロインA、詩緒」「ヒロインB、日々野さん」と紹介されています。付け加えるなら「ヒロインC、阿幾」で「ヒロインD、まひる様」という構図になる。ご存知のように勝者は「ヒロインB」である日々野さんです。あれだけ好き好き光線出しまくった愛情一直線のヒロインC&Dは敗者である。これは納得できる(なぜか上から目線)
アニメのOP「不完全燃焼」は歌の中毒性もさることながら歌詞が良かったよね。「不完全燃焼」は匡平の心の慟哭を歌詞にしたそうな。これ個人的に凄い納得できるんですよ。歌詞全体から匡平の悲しみとか嘆きが伝わるんですけど、一番びびっと来たのは「操縦不可能なんだよ予想外に際立つ力を『可能性』と呼ぶのだけはやめてくれ」ってとこ。
あくまで抽象的なものなんだろうけど、僕には8年前の天照素戦をドンピシャで歌ったように思えるわけですよ。だって匡平は覚えてないし。気付いたら天照素は破壊されていた。それなのに、まひる様と阿幾は心奪われていた。
人が恋に落ちる瞬間を初めて見てしまった。まいったな。
正気を失った匡平。
何もかもぶっ飛んでいた。何も覚えてない。そのたった1度の匡平に「ヒロインC、阿幾」と「ヒロインD、まひる様」は恋に落ちていた。畏怖や尊敬や崇拝が入り交じりながら2人とも口々に言っていた。「これこそがホンモノの匡平」である、と。
匡平にとっては何の記憶も自覚もないのに、「ホンモノの匡平」「匡平の正体」とか言い続けるわけです。本人にとっちゃ知らんがな状態ですよ。そりゃ、阿幾とまひる様の恋も報われないわけですよ。そんな覚えてもいない人格をホンモノとか言って崇拝して恋されても困るっちゅーの!
だから日々野さんは納得できる勝者であった。
匡平は凄いとか聞かされても日々野さんまじヒロイン
すごい納得できるよ!
そりゃ日々野さんが勝つっつーの。ちゃんと匡平を見ろっつーの。自分で操縦不可能な人格を可能性と呼ぶのはやめてくれですよ。日々野さんの魅力は乳だけじゃない!もちろん乳はいいものであるが。
もっとラブがコメるとこ見たかった。不完全燃焼なんだよ!
【まとめると】
ぶっちゃけ最終回読んだ感想は「え?(困惑)」でした。不完全燃焼でした。でも、未来に繋がる描写はやっぱりグッときてしまいますね。やはりやまむら作品は「苦悩を乗り越える様」が一番グッとくる。不完全燃焼でも、そりゃ若者が出した精一杯の答えですよ。なんのかんので良い漫画でした。不完全燃焼でした。
「神様ドォルズ」にはグッとくる名シーンがいくつもある。
その中で特にお気に入りのシーンを3つピックアップして終わろう。これが「神様ドォルズ」の総括である。
・第3位「天照素は凄い」
やはり8年前の過去編の天照素戦は外せない。圧倒的な力、人の心を喰うカカシ。幼女まひる様も喰われてしまい…。
心を喰われ
ふぅ。
・第2位「渋滞」
空守村へ車で帰るとき大渋滞に巻き込まれてしまいました。詩緒と靄子は大ピンチを迎えるのであった。それを乗り越えスッキリした顔が僕の心の琴線を鷲掴みにした!
渋滞というピンチを超えて
ふぅ。
・第1位「やっぱりまひる様は凄い」
物語の終盤、まひる様がピンチになった。巨大な敵だ。おしっこだ!しかも着ている服は1人では脱ぐのがおそろしく時間がかかるのだ。ゆえに、日々野さんのせいにして野ションをするのであった…。
崩壊寸前なんだろ?
ふぅ…完全燃焼なんだ。
神様ドォルズ 12 ペーパークラフト+アーカイブブック付き限定版 (サンデーGXコミックス)
posted with amazlet at 13.05.02
やまむら はじめ
小学館
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